水の都ベネチア、記録的な干ばつで土の都になる [323057825]
水の都として知られるイタリア・ベネチアで、シンボルである運河の水位が急激に下がり、市民生活に混乱も起きている。
取材した、30年以上ベネチアに住む日本人も驚きを隠せない。一体、原因は何なのだろうか。
■水位↓…ベネチア在住日本人「通常みえない泥が」
水の都として知られるイタリア・ベネチア。
街に張り巡らされた運河は、ゴンドラ観光だけではなく、ごみ収集など、ベネチアの人々の暮らしにもなくてはならない存在だ。
しかし、その運河に「ある異変」が起きているという。
ベネチアに移り住んで32年。
世界的なベネチアンガラスアーティストとして活躍する、土田康彦さん(53)にその異変を伝えてもらった。
土田さん:「今この橋は、サンマルコ広場から徒歩で2、3分のところにあるベネチアの中心街です。
この橋の下の運河を見ると、通常の水位のおそらく1メートルから1メートル20センチ下に水面がありまして、通常みることのない、泥が見えていて」
通常だと苔(こけ)の付いた高さまで水につかっているというが、最近では水面が下がり、泥や貝などが露出している。
ゴンドラが運航できないだけではなく、住民が使う公共の船の本数も減らさざるを得ない状況だという。そのため…。
乗客:「警察を呼べ!うんざりだ!」 画面奥に映る男性が、すでに満席の船に無理矢理乗り込み、船が出発できない事態に。
すると、乗客の1人が男性を引きずり降ろし、投げ飛ばした。
水の都・ベネチアに異変 運河“干上がる”…市民生活混乱 公共船減便 “悪臭”も
https://news.yahoo.co.jp/articles/3721f6cde28f5d08546df22b3e7c540bb1fff28a
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>>1
13世紀(西暦1201年から西暦1300年までの100年間)の中国
37:21
マルコ・ポーロ(Marco Polo)は,ヴェネツィアの商人の息子。
ヴェネツィアといえば、東方貿易(レヴァント貿易)
父,叔父とともにヴェネツィアを出発し、シリアに上陸。
当時、シリアは,イルハン国から内陸を通り、元王朝(Yuan dynasty)の都、大都(Khanbaliq)にやってきた。
目的は 2つ
・ヴェネツィア(Venice)との,通商ルートの確立
・ローマ教皇からの手紙
マルコ・ポーロ(Marco Polo)は若い青年で、数か国語を操れる。
その後、クビライ(Kublai Khan)に求められ、側近兼,通訳として,元王朝(Yuan dynasty)に残った。
38:43
マルコ・ポーロ(Marco Polo)は.40歳になるまで、約20年間,大都(Khanbaliq)に滞在しつづけた。
その後、クビライ(Kublai Khan)の許しを得て、故郷,ヴェネツィア(Venice)へと帰った。
イルハン国へ,姫を送り届けがてら、シリアから,ヴェネツィアへと帰還した。
その後、東方見聞録(The Travels of Marco Polo)を書いた。
39:45
ジパング(Zipangu)は,東方.海上の大きな島であった。
・クビライ(Kublai Khan)は,日本を手に入れようと試み,大艦隊を送った。
・しかし、嵐によって妨げられ,実現しなかった。
日本国は、中国語(広東語)の発音が「ji-pen-quo」
ジーベングォ、リーベングォ
ヴェネツィア(Venice)の,マルコ・ポーロの耳にはジパング(Zipangu)と聞こえた。
これがヨーロッパ各国で訳された。
つまり日本のことが世界に伝わったのがこの時。
この後、ヨーロッパでは,大航海時代(Age of Discovery)が始まります。
大航海の目的
・インド(India)の香辛料
・ジパング(Zipangu)の金(Gold)です。
コロンブス(Christopher Columbus)も,マルコ・ポーロ(Marco Polo)の本を持って.アメリカへ行った。
しかし,ジパング(Zipangu)だと思ったら、そこは新大陸(New World) だった。
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あれが在りし日の姿として資料映像になるのか
え? マジで!?
BD化だけじゃなくて再アニメ化すんの?
めちゃ楽しみだが
最近リメイク多すぎ
干上がることなんてあんの?
温暖化は北極南極は氷河溶けて水位上がるけど暑い地域は海が蒸発して水位下がることが解ってきた
なんだ、その都合の良い解釈。
でも温暖化すればヨーロッパは砂漠化するとか言われてたよね。
ギリシャ・ローマ時代は地中海沿岸は小麦取れなかったし。
あそこも干上がれば助かるのか
すっげえ乾燥しててじゃんじゃん蒸発するせいで地中海の水位って大西洋よりも2mくらい低いんだっけ?
1001: 思考ちゃんねる